Ruribitaki's Diary

るりびたきの挑戦日記(Ruribitaki’s Diary)を始めました。

「Ruribitaki’s Diary」ではるりびたきの日記を綴っていきます。

日記カテゴリーではTwitter等では書ききれない、Booksの投稿者るりびたきの現状や日々のこれから挑戦していきたいことについて書いていきます。


ざっくり自己紹介

noteにも経歴を書きましたが、ざっくりと自己紹介をしたいと思います。

  • 生まれも育ちも北海道。そして現在も北海道。
  • 大学は北海道。ここまで全て北海道。
  • 大学卒業後、北海道の小学校教員になる。ここまでも北海道。
  • 約4年間の勤務後、エンジニアになるために転職活動中。現在27歳。そして今いる場所も北海道。
  • 以上北海道。


北海道づくしですね。「あなた、ずっと北海道にいるの?」と言われればそういうわけでもない。

旅行も好きなわけで…。

旅行への目覚め

旅行に目覚めたきっかけは、大学2年生の頃に行った、本州へのスクーリング。

一応通信の大学にも行っていたんです。

そこまで、ほとんど本州に行ったことはなし。

その時、ほぼ初めて東京に行きました。原宿に行っただけで人が多くて怖がっていた記憶が。


でもその土地のアスファルトの道を見て思ったんです。アスファルトの道って果てしなく存在するんだなと。

きっと別の土地に行ってもアスファルト塗装の道があるに違いない。そこからわくわくを感じたわけです。

そこから海外に行ったわけではないんですよね。外国なんてさらさら行く気がしませんでした。英語話せなくて怖いし。


大学の卒業が近づいた頃、大学生協であるツアーのポスターを目にします。

卒業近いし、こんなのも行っても良いかなと。香港良いな。ブルースリー好きだし。

友達と相談したのち、香港に行くことになりました。


それが、旅行記の「香港編」である。

初めて外国の空気に触れました。行動すれば何とかなるという感じがもてましたね。

何も考えずに動くのは良くないですが。



その後、社会人1年目の正月明けにタイに行くわけです。

香港の味をしめてから、割と近くでいける外国である「タイ」に目をつけていたのです。

一人で海外に行くのに勇気はいるものですが、旅券をとればこっちのものです。もう行くしかないと。

追い込むスタイルなんですかね。基本行動してなんぼです。


その後、色々な国に行くわけです。

でもお金もそんなにもっていないので、アジア周辺のみでした。

感染渦収まったらまた行きたいな。


教員という仕事

教員はやりがいの塊でした。

私自身一番好きだったのは、研究授業でした。

自分であれこれ試しながら授業を作るのは面白いです。

研究授業の指導案を日付越えの職員室で何度も練り直すこともあったのですが、

あまり苦ではなかったです。


るりびたき、体力はタフなんですが、意味がないと思うと一気にモチベーションがなくなってしまうのが悪い癖です。


研究授業前は楽しかったですね。本番では「わーきゃー」言いながら子どもが熱中して実験しているのを見ると「アイデア練り一生懸命してよかったなぁ」なんて思いますし。


ですが、自分のデメリットは熱中したらそこに焦点がいくことです。

声をかけられても気づかないことがたまにあります。

1つ1つに熱中するため、40人ほどの子どもを一度に看取るのが苦手なのです。

1人1人の話を過度なくらいに熱心に聞いてしまいます。

研究授業の力が伸びても、全体を看取る力は1年目から変わらなかったため、「これは伸びないな」と感じました。


自分は期限付き教諭として給料が大卒と変わらずに働きながら、毎年教員採用試験を受けていましたが、

面接満点だったよと言われた試験でさえ、5回受けてもなかなか受からなかったので、逆に受からなくて良かったなと思います。

なぜなら、教員を辞めて夢を追うという道をしっかり選ぶことができたから。

これは縁だとも思っています。

そして毎年、諦められない大学の頃からの想いがありました。


明るい未来を感じられるものを創りたい。

特にその想いがあったのは大学生の頃。

「明るい未来を感じられるものを創りたい。」そんな風に思っていました。

小さい頃から好きだったものを思い出してみると、パソコンをいじることでした。

幼稚園の頃、家にあるWindows95をいじったり、

小学生の頃、はんだづけをした上で電子工作をしてみたり、

高校生では、ネットカフェでiPhoneを改造したり(ワンセグが見れるようになる、リンゴマークがくるくる回転できるようにする)、

大学生の頃プログラミングの本をパラパラと読んでみたり(かじり程度)…

思えばずっとパソコンを使っていたなと思います。

それを使ってモノが作りたいと思っていました。

笑顔になれるモノづくりを。


最大の得意で最大の努力をして、この世に最大の貢献がしたい

教員時代、このまま教員をしていてもその願いは叶うのだろうかと思いました。

65歳?70歳?あるいはそれ以上?受かるのかわからない教員採用試験を受け続け、The安定の公務員として定年まで働くのか、それとも変動の人生を送るのか。


正直、自分の性格で言うと、断然後者なんですよね。

人生一度きりしかないのに、安定の道を歩むのって変な感じがするので。

そんなの死ぬ時に後悔するに決まってるじゃないか。と。


そして、最大の得意で最大の努力をして、この世に最大の貢献がしたいという想いがあるんです。

その方がこの世にいて良かったと思えるから。


生まれたからには、この世に貢献したいじゃないですか。最大の貢献をして去りたいんです。

そのために、最大の得意で最大の努力をする。それが自分にとっての大切なことなんです。

これは自分の考えなので、鵜呑みにはしないでください。ただ、自分の中のモットーなんです。

私は不器用なので、最大の得意を使えるだけで喜んじゃいます。

器用な人が羨ましいと思うこともあります。


これから挑戦の日々

私の人生は安定しないかもしれません。きっと他人に誇れるものでもありません。

エンジニアになって、夢を創れるような事業でチームを作って…なんてことを大学生からずっと描いています。

それは大学生も社会人1年目も、27歳になった今もずっと変わりません。ということは、本当になりたいんだと思います。


正直、教員を辞めて正解だったと思うんです。じゃないと、今こうして夢に向かって進めないから。

なりたい自分になれないまま、歳をとり、定年を迎え、「もう一度やり直せるなら、あの時思い切ってやれば良かったな…」なんて後悔して死んでいく…。

そうなってしまう気がして仕方ないって思います。


もちろん、教員で学んだことはたくさんありました。未熟ながら伝える力、書く力、色々身についたと思います。

けれど決断して本当によかったと思うんです。悔いは全くありません。


自分軸がブレないように挑戦する

いずれはモノづくりで事業を始めたい!と思っているため、何度も手順を考えました。

転職する→エンジニアとして経験を積む→夢を創る事業を始める

の順番だろうなと。

叶えたいものを叶える上で大切なのは、「自分軸がブレない」ことだと思っています。

ブレてしまうと、楽しいことをするだけの大学生ノリと変わらないので。

楽しいだけじゃダメだと思っています。パーティーをして記念写真を撮っているのと何ら変わらないです。

その時間をなりたい姿に当てるべきだと思っています。


自分は何をするしても意味を見出したい人間なので、その癖かもしれませんが。

自分の場合、「明るい未来を創る」が自分軸なので、そこを外さないようにしています。

何より自分自身、漠然と意味ないことをするのが好きではないので、ブレることもないですが笑


未来のために行動するのは大好きなので、そこに全力で取り組んでいきたいです。

人生は一度きり。最大の貢献をするために、なりたい姿になる。

人生はあっという間です。

10年後なんてすぐに来てしまうでしょう。

収入は違っても時間だけは皆平等です。増やすことはできないんです。

だからこそ、大切に使っていくんです。明るい未来を創るために。


以前に書店で目標達成ノートというものを買いました。

そして達成したいものを付箋で貼っていきました。


こんなになりたい姿があると思うと、人生はより短く感じるものです。

そのために今週は何をするとか、どうだったかとか振り返りをしていこうと思います。


これからの未来に挑戦心を抱いて、夢中になりながら。

こんな私ですが、これからもよろしくお願いいたします。



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